1 はじめに
カスハラ行為を受け、それに対応した従業員が困惑しているというニュースを目にしたことはありませんか。
厚生労働省は、過去3年間にハラスメントを受けた従業員の割合ではカスハラが2番目に多く、そして企業内での相談件数はカスハラが3番目に多いという結果を公表しました(厚生労働省が実施した「令和2年度職場のハラスメントに関する実態調査」)。
このように、カスハラが社会問題化されている状況の中で、厚生労働省は、「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書(令和5年7月)」の公表を受け、令和5年9月1日に「心理的負荷による精神障害の認定基準」を改正しました。
その内容は、心理的負荷による精神障害の労災認定の基準の改正になっています。
そして、同日付で厚生労働省労働基準局長から都道府県労働局長宛てに「心理的負荷による精神障害の認定基準について」が、また、同日付で厚生労働省労働基準局補償課長から都道府県労働局労働基準部長宛てに「心理的負荷による精神障害の認定基準に係る運用上の留意点について」がそれぞれ通知されています。
そこで、本稿のテーマの結論を得るためには、その前提として、カスハラとは何か、「心理的負荷による精神障害の認定基準」(以下「認定基準」といいます)の改正の主なポイント、認定基準の「業務による心理的負荷評価表」の具体的出来事に、カスハラに関する項目が追加された内容、カスハラに関する項目の補足説明、心理的負荷の強度と業務上の疾病(労災)認定の関係について理解する必要があるため、これらについて順次説明した上で、「カスハラを放置した場合に労災になる可能性があること」について説明することとします。
2 カスハラとは何か
カスハラとは、カスタマーハラスメントの略称です。
厚生労働省「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」によると、「カスタマーハラスメント」とは、「顧客等からのクレーム・言動のうち、当該クレーム・言動の要求の内容の妥当性に照らして、当該要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なものであって、当該手段・態様により、労働者の就業環境が害されるもの」と定義付けされています(7頁)。
3 認定基準の改正の主なポイント
認定基準の改正の主なポイントは、❶業務による心理的負担評価表に、具体的出来事としてカスハラを含む項目が新しく追加されたこと、❷パワーハラスメントの6類型の具体例が明記されたこと、❸精神障害の悪化の場合に、業務起因性を認めるための要件が緩和されたこと、❹医学意見の収集方法が効率化されたことになります。
本稿では、このうち❶が問題になりますので、❶を中心に説明することとします。
4 認定基準の「業務による心理的負荷評価表」の具体的出来事に、カスハラに関する項目が追加された内容
社会情勢の変化等を踏まえ、業務による心理的負荷として感じられる出来事として新設されたものです。顧客等からの著しい迷惑行為(カスハラ)を受けたことに伴う心理的負荷を評価する項目です。
認定基準の別表1「業務による心理的負荷評価表」(以下「別表1」といいます)によると、カスハラに関する項目の内容は、以下のとおりです。
1.(具体的出来事)の欄
項目番号27
2.出来事の類型
⑥対人関係
3.具体的出来事
顧客や取引先、施設利用者等から著しい迷惑行為を受けた
4.平均的な心理的負荷の強度
Ⅱ
5.心理的負荷の総合評価の視点
・迷惑行為に至る経緯や状況等
・迷惑行為の内容、程度、顧客等(相手方)との職務上の関係等
・反復・継続など執拗性の状況
・その後の業務への支障等
・会社の対応の有無及び内容、改善の状況等
(注)著しい迷惑行為とは、暴行、脅迫、ひどい暴言、著しく不当な要求等をいう。
6.心理的負荷の強度を「弱」「中」「強」と判断する具体例
【「弱」になる例】
・顧客等から、「中」に至らない程度の言動を受けた
【「中」である例】
・顧客等から治療を要さない程度の暴行を受け、行為が反復・継続していない
・顧客等から、人格や人間性を否定するような言動を受け、行為が反復・継続していな
い
・顧客等から、威圧的な言動などその態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える著しい迷惑行為を受け、行為が反復・継続していない
【「強」になる例】
・顧客等から、治療を要する程度の暴行等を受けた
・顧客等から、暴行等を反復・継続するなどして執拗に受けた
・顧客等から、人格や人間性を否定するような言動を反復・継続するなどして執拗に受けた
・顧客等から、威圧的な言動などその態様や手段が社会通念に照らして許容される範囲を超える著しい迷惑行為を、反復・継続するなどして執拗に受けた
・心理的負荷としては「中」程度の迷惑行為を受けた場合であって、会社に相談しても又は会社が迷惑行為を把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった
5 カスハラに関する項目の補足説明
以下の補足説明は、厚生労働省労働基準局補償課(令和5年11月)「精神障害の労災認定実務要領【本編】」の「Ⅰ 認定基準の解説」を参考にしています。
1.別表1の心理的負荷の強度の区分
「強」は、対象疾病を発病させるおそれのある程度の強い心理的負荷となるものです。
また、「弱」は、日常的に経験するものや一般に想定されるものであって、通常弱い心理的負荷にしかならないもの、「中」は、経験の頻度は様々であって、「弱」に比べれば心理的負荷は強いものの、対象疾病を発病させるおそれがある程度まで強い心理的負荷とはならないものです。
「弱」の出来事にさえならないストレスの考え方は想定されないため、何らかの出来事があれば、その心理的負荷は「強」「中」「弱」のいずれかに分類されます(4頁)。
2.心理的負荷の強度
心理的負荷の強度は、同種の労働者が一般的にその出来事及び出来事後の状況をどう受け止めるかという観点から評価されます。
この「同種の労働者」は、精神障害を発病した労働者と職種、職場における立場や職責、年齢、経験等が類似する者をいいます。
「同種の労働者」を想定するに当たり、業務の内容に応じて障害の内容や職場における立場(採用区分)等を考慮し、個人の障害に対する配慮の欠如についても出来事の評価対象となります(4頁~5頁)。
3.総合評価の留意事項
特別な出来事以外の具体的出来事を評価するに当たり、認定基準では、各具体的出来事の総合評価の共通する留意事項として、後記「6」2.❷の㊃a.が示されています。
これらは、出来事後の状況の評価に限らず、出来事それ自体の評価に当たっても留意するものであり、心理的負荷を強める要素としても弱める要素としても評価されます。
また、著しいもののみを評価する趣旨ではありません。
このうち、「当該出来事が生じるに至った経緯等」としては、対人関係上の心理的負荷が問題になるような場合であれば、本人の行動と相手方の行動の関係性等も含めて総合的に評価されます。
また、後記「6」2.❷の㊃b.の「職場の支援・協力が欠如した状況であること、仕事の裁量性が欠如した状況であること」についても、出来事後の状況の評価に限らず、出来事それ自体の評価に当たっても、留意されます。これらも、著しいもののみを評価する趣旨ではありません(5頁~6頁)。
4.顧客や取引先、施設利用者とは
これらは例示であり、職場外の業務に関連する人間関係を広く含むものとされています。例えば、医療従事者が患者やその家族から、学校関係者が生徒やその保護者から著しい迷惑行為を受けた場合も、この項目で評価されます(22頁)。
5.「著しい迷惑行為」とは
「著しい迷惑行為」とは、上述の(注)で示したように、暴行、脅迫、ひどい暴言、著しく不当な要求等をいいますが、商慣習上あり得る要求や指摘等に留まる場合には「顧客や取引先から対応が困難な注文や要求等を受けた(項目番号9)」で評価されます(22頁)。
6.総合評価とは
総合評価は、心理的負荷の総合評価の視点の欄に示される、迷惑行為に至る経緯や状況等、迷惑行為の内容、程度、顧客等(相手方)との職務上の関係等、反復・継続など執拗性の状況、その後の業務への支障等、会社の対応の有無及び内容、改善の状況等の視点から行われます(22頁)。
7.「執拗性の状況」における「執拗」とは
「執拗」とは、一般的にはある行動が何度も繰り返されている状況にある場合が多いのですが、たとえ一度の言動であっても、これが比較的長時間に及ぶものであって、行為態様も強烈で悪質性を有する等の状況が見られるときにも「執拗」と評価すべき場合があることに留意することとされています(20頁・22頁)。
8.同一顧客からの迷惑行為の評価とは
同一顧客からの迷惑行為であって出来事が繰り返されるものについては、繰り返される出来事を一体のものとして評価することから、発病の6か月よりも前にそれが開始されている場合でも、発病前6か月以内の期間にも継続しているときは、開始時からのすべての行為を評価の対象とするとされています(22頁~23頁)。
6 心理的負荷の強度と業務上の疾病(労災)認定の関係
認定基準によると、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱われるのは、次の3つのいずれの要件も満たす本認定基準で対象とする疾病(以下「対象疾病」といいます)であるとしています(1頁)。
❶対象疾病を発病していること。
❷対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること。
❸業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したことは認められないこと。
また、認定基準によると、要件を満たす対象疾病に併発した疾病については、対象疾病に付随する疾病として認められるか否かを個別に判断し、これが認められる場合には当該対象疾病と一体のものとして、労働基準法施行規則別表第1の2第9号に該当する業務上の疾病として取り扱うとしています(1頁)。
そして、業務による心理的負荷の強度の判断については、認定基準によると、以下の1.と2.について検討しています(2頁~4頁)。
1.業務による強い心理的負荷の有無の判断
❶上記「❷対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること」とは、対象疾病の発病前おおむね6か月の間に業務による出来事があり、当該出来事及びその後の状況による心理的負荷が、客観的に対象疾病を発病させるおそれのある強い心理的負荷であると認められることをいう。
❷心理的負荷の評価に当たっては、発病前おおむね6か月の間に、対象疾病の発病に関与したと考えられるどのような出来事があり、また、その後の状況がどのようなものであったのかを具体的に把握し、その心理的負荷の強度を判断する。
❸その際、精神障害を発病した労働者が、その出来事及び出来事後の状況を主観的にどう受け止めたかによって評価するのではなく、同じ事態に遭遇した場合、同種の労働者が一般的にその出来事及び出来事後の状況をどう受け止めるかという観点から評価する。この「同種の労働者」は、精神障害を発病した労働者と職種、職場における立場や職責、年齢、経験等が類似する者をいう。
❹その上で、結論として、心理的負荷の全体を総合的に評価して「強」と判断される場合には、業務上の疾病の認定要件を満たすものとする。
2,業務による心理的負荷評価表
❶業務による心理的負荷の強度の判断に当たっては、別表1を指標として、上記1.により把握した出来事による心理的負荷の強度を、次のとおり「強」、「中」、「弱」の三段階に区分する。
❷なお、別表1においては、業務による強い心理的負荷が認められるものを心理的負荷の総合評価を「強」と表記し、業務による強い心理的負荷が認められないものを「中」又は「弱」と表記している。「弱」は日常的に経験するものや一般に想定されるもの等であって通常弱い心理的負荷しか認められないものであり、「中」は経験の頻度は様々であって「弱」よりは心理的負荷があるものの強い心理的負荷とは認められないものである。
㊀特別な出来事の評価
発病前おおむね6か月の間に、別表1の「特別な出来事」に該当する業務による出来事が認められた場合には、心理的負荷の総合評価を「強」と判断する。
㋥特別な出来事以外の評価
「特別な出来事」以外の出来事については、当該出来事を別表1の「具体的出来事」のいずれに該当するかを判断し、合致しない場合にも近い「具体的出来事」に当てはめ、総合評価を行う。
別表1では、「具体的出来事」ごとにその「平均的な心理的負荷の強度」を、強い方から「Ⅲ」、「Ⅱ」、「Ⅰ」として示し、その上で、「心理的負荷の総合評価の視点」として、その出来事に伴う業務による心理的負荷の強さを総合的に評価するために典型的に想定される検討事項を明示し、さらに、「心理的負荷の強度を「弱」「中」「強」と判断する具体例」(以下「具体例」といいます)を示している。
該当する「具体的出来事」に示された具体例の内容に、認定した出来事及び出来事後の状況についての事実関係が合致する場合には、その強度で評価する。事実関係が具体例に合致しない場合には、「心理的負荷の総合評価の視点」及び「総合評価の留意事項」に基づき、具体例も参考としつつ個々の事案ごとに評価する。
なお、具体例はあくまでも例示であるので、具体例の「強」の欄で示したもの以外は「強」と判断しないというものではない。
㊂心理的負荷の総合評価の視点及び具体例
「心理的負荷の総合評価の視点」及び具体例は、次の考え方に基づいて示しており、この考え方は個々の事案の判断においても適用すべきものである。
出来事の類型「⑥対人関係」の出来事については、出来事と出来事後の状況の両者を軽重の別なく評価しており、総合評価を「強」と判断するのは次のような場合である。
a.出来事自体の心理的負荷が強く、その後に当該出来事に関する本人の対応を伴っている場合
b.出来事自体の心理的負荷としては中程度であっても、その後に当該出来事に関する本人の特に困難な対応を伴っている場合
㊃総合評価の留意事項
a.出来事の総合評価に当たっては、出来事それ自体と、当該出来事の継続性や事後対応の状況、職場環境の変化などの出来事後の状況の双方を十分に検討し、例示されているもの以外であっても出来事に伴って発生したと認められる状況や、当該出来事が生じるに至った経緯等も含めて総合的に考慮して、当該出来事の心理的負荷の程度を判断する。
b.その際、職場の支援・協力が欠如した状況であること(問題への対処、業務の見通し、応援体制の確立、責任の分散その他の支援・協力がなされていない等)や、仕事の裁量性が欠如した状況であること(仕事が孤独で単調となった、自分で仕事の順番・やり方を決めることができなくなった、自分の技能や知識を仕事で使うことが要求されなくなった等)は、総合評価を強める要素となる。
7 カスハラを放置した場合に労災になる可能性があること
まず、精神障害が労災と認定されるためには、上記「6」のとおり、次の3つの要件を満たす必要があります。本稿では、❶と❸の要件を満たしているものとします。
❶対象疾病を発病していること。
❷対象疾病の発病前おおむね6か月の間に、業務による強い心理的負荷が認められること。
❸業務以外の心理的負荷及び個体側要因により対象疾病を発病したことは認められないこと。
次に問題になるのが、上記❷の要件を満たしているかどうかになります。
本稿では、「対象疾病の発病前おおむね6か月の間に」、カスハラを受けたことを前提に説明します。
上記「4」の4.ないし6.によると、カスハラ(別表Ⅰの具体的出来事)の平均的な心理的負荷の強度が「Ⅱ」である上、「心理的負荷の総合表の視点」として、カスハラによる心理的負荷の強さについて、想定される具体例を総合的に評価した場合、カスハラにおける心理的負荷の総体の評価は、「弱」「中」「強」の三段階に分かれることになります。
そして、上記「6」の1.❹によると、業務上の疾病(労災)と認定されるためには、心理的負荷の総体の評価が「強」と判断される必要があります。
本稿のテーマは、企業が「カスハラを放置した場合」に労災になる可能性があることというものです。
企業が「カスハラを放置した」ことによって、心理的負荷の総体の評価が「強」となることが前提となっています。
そのためには、まず、企業が「カスハラを放置する」とは、どういうことかを確認する必要があります。
この点については、上記「4」の6.が示唆しており、「会社に相談しても又は会社が迷惑行為を把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった」ということに網羅されていると考えられます(上記「6」の2.の❷㊃b.「職場の支援・協力が欠如した状況」も同趣旨と解されます)。
そうしますと、上記「4」の6.によると、企業の従業員が、【「中」である例】に示されている、心理的負荷としては「中」程度の迷惑行為(カスハラ)を受けた場合に、企業がこれに対し「会社に相談しても又は会社が迷惑行為を把握していても適切な対応がなく、改善がなされなかった」という「放置」をすれば、心理的負荷の総体の評価が「強」と判断されます。
したがって、カスハラを放置した場合に労災になる可能性があることといえるわけです。
8 まとめ
本稿では、カスハラとは何か、認定基準の改正の主なポイント、認定基準の「業務による心理的負荷評価表」の具体的出来事に、カスハラに関する項目が追加された内容、カスハラに関する項目の補足説明、心理的負荷の強度と業務上の疾病(労災)認定の関係の理解を前提に、カスハラを放置した場合に労災になる可能性があることについて説明しました。
現在、カスハラ事案が社会問題になっていますが、カスハラに関しては、パワハラのような相談窓口設置義務はなく、設置の根拠となる法令もありません。
上述した「1 認定基準の解説」では、「顧客等からの著しい迷惑行為」については、パワハラ防止指針において雇用管理上の配慮として取組を行うことが望ましいとされている、と指摘しています(22頁)。
カスハラ対応やその対策に頭を悩ませている企業の方は、ぜひ、カスハラ問題に精通している当事務所にご相談下さい。
弁護士 能勢章